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グラシアス つまり 

「きちんとお礼が言える人」と聞いて、悪い印象を持つ人はまずいないと思う。ただ、個人的な感覚としては、「きちんとお礼が言える人」の「きちんと」の程度は、頻度についてのみ*1言えば適切でないように感じる。
そもそも、この言葉を出す人が、会話中にその程度に関してまで言及することはほとんどないし、聞き手が尋ねることもまたないだろうけれど、一般的には、「言えば言うほど良い」というのが共通の感覚だと思う。お礼を言われて嬉しがる人は多いからだ。僕も一応それをわかっているから、アルバイト先などでは些細な事でも一々お礼を言うし、元々血行を良くするために鍛えた表情筋をフルに使って、最近はやたら愛想が良い気持ち悪い人にさえなっている。愛想を振りまいていると周りの人は好意的に接してくれるし、連携も取りやすくなるから、仕事の場面では「きちんとお礼が言える人」に徹するのが正解なのだろうと思う。
しかし、本来お礼は、相手を喜ばせるためにするものではないと思う。じゃあ誰のためにするものなのかと言えば、誰のためでもない。心から感じた恩に関する、純粋な心情の吐露であってほしい。したがって、常に相手に伝えなければならない道理は全くなく、心の中で想うだけで十分なのだ。わざわざ言葉にしてくれなくても、無意識に態度に現れていて、そこから伝わることも多い。それに、言葉という形でするお礼は、僕のような不純な気持ちでお礼を言う人がいる限り、嘘と区別がつかないので、表現の方法としてはむしろ勿体無いとさえ思う。これが「きちんと」の程度が不適だと感じる理由だ。
その他にも、見返りを求めない純粋な厚意からしてくれた事に大して、毎回言葉でお礼をしていると、その相手を、感謝の言葉のためにしている偽善者に仕立て上げてしまう気がすることがある。このような場面で相手がどう思っているか、また周りがどう思っているかは分からないけれど、少なくとも、自分が形式ばった印象を受けるお礼を言われた時には、そんなお礼なら言ってくれなくてもいいと感じる。だから、僕が人のために何かをするときには、お礼を言われないようにできるだけこっそり遂行したいし、本当ならお礼もこっそりしたいと常に思っている。

 

今日のナポリタン

八王子に住んでいる人と話す機会があって、1月のナポリタンイベントの時に見つけた喫茶店を紹介したら、自分が行きたくなったので今日行ってきた。

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ソースの味が完璧すぎる。
麺もデロデロでかっこつけてない感じ。

ここのコーヒーは美味しい苦みがあって、温度が下がるにつれて丁度良い酸味が出てくる。香りも良い。2階店舗。空いてる(平日だからかも)。少し薄暗い。店内に流れるクラシック。ありがとう...ありがとう......。

*1:この「きちんと」には、相手の目を見ながら、だとか、伝える際の言葉遣いなどといった、態度に関する意味と、受けた恩の大小にかかわらずお礼を言う、といった頻度に関する意味の2つが含まれていると思う