雑感

お花見

今月の10日と12日に、市内の公園へお花見に行ってきた。第2週頃から梅雨に入り、気候がジメジメとしてきたので、何か梅雨らしいことがしたいと考えていたところ、紫陽花を見ることを思いついた次第だ。

・10日
自宅からそう遠くない場所にある市内北部の公園。近所にもまだまだ知らない魅力的な場所があるのだと思わされた。紫陽花は数、種類共に非常に多く、かなり見ごたえがあった。近くでよく見てみると、一枚のがくの中でも色に変化があって、絵の様な花だと思った。

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花見をしてから知ったのだけれど、紫陽花の花弁のように思える部分は、実はがくが大きくなったもので、中央に小さくちょこっと付いている部分が本当の花弁らしい。

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こういうのもある。大きながくを持つ花(装飾花と呼ばれる)が一部にだけ現れ、まるでそれ全体で新しく大きな一つのがくを作るかのように、額縁状にそれ以外の花を取り囲んでいる。このタイプの紫陽花はガクアジサイ(額紫陽花)と呼ばれるそうだ。

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これもカシワバアジサイ(柏葉紫陽花)というアメリカ産の紫陽花。花の付き方と葉の色が個性的で良い雰囲気。森ガールに人気が出そう(?)

花以外にも、この日は一つ発見をした。

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iPhoneのパノラマ撮影って縦にも使えたんだね。

 

・12日
2日前に行った公園では、花菖蒲が終わりかけで少し残念だったので、市内の別の公園へ、今度は花菖蒲を見に行ってきた。
ここは市内でもかなり大きな公園で、小さい頃はよく家族で休日に遊びに来たりもした。その公園の一角に菖蒲園があると知ったので、久し振りに行ってみることにした。

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相当な種類があって、確かに菖蒲園だった。花の付き方、枚数、色、質感が種類によって微妙に異なっていて、楽しく見られた。

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涼しげな白が好きだった。

 

和泉さん

世の和泉さんは、署名をする際、振り仮名をどのように振っているのか。「イ - ズミ」と振るのか、それとも「イズ - ミ」なのか、あるいは、「イ - ズ - ミ」と振って何となくバランスを取っているのか......。読者の中に和泉さんがいらっしゃいましたら、情報の提供をお願いします。ブイーン。

 

ストレッチ

股関節周りの柔軟がある程度進捗し始めたので報告する。
前々回の記事でもすこし触れたけれど、腿裏、特にお尻に近い部分の筋肉は、正しいフォームでストレッチをすれば、案外すぐに柔らかくなった。これは、この腿裏と言うのが、他の筋肉との連動が比較的薄く、独立に柔軟性を高めることのできる部位*1だからだと思う。それに対して、次に取り掛かった股関節は、単純に鼠蹊部周りの筋肉だけを伸ばそうとしたところで、中々柔らかくはならなかった。
まず、合蹠のポーズを試みた時点で、明らかに股関節以外の部分の緊張による抵抗が感じられた。現象としては、骨盤が立たない(背中が丸まってしまう)というのと、踵を引き寄せられないということだ。これらの事に注意深く観察を続けたおさかなの研究により、股関節を柔らかくするには、股関節の外旋・内旋両方向と、内腿、お尻、背中の筋肉の全てをストレッチする必要があることが明らかになった。
また、ストレッチを続けることで、自分の体の歪み(?)が把握できてきた。僕の体は、右足の腓腹筋(ふくらはぎの筋肉)と内転筋(内腿の筋肉)が左足に比べて硬く、股関節は左足の方が硬かった。骨盤は元々後傾気味で、立っているときの肩の位置は少し前に寄っていた。これらが段々改善されていくのを感じるのは相当楽しい。絶対立派なストレッチマンになるぞ。

 

後ろ回し蹴り 耳の裏の骨を折る

前に使っていたメモ帳に書かれていた。たぶん夢の一場面か何かだと思う。

 

TOEIC

院試を先に控える学部4年生になったので、試験科目の確認をしてみたところ、6月のTOEICが院試に使える最後の回であることを4月に知った。この時点でまだ一度もTOEICを受けたことが無かったので、とりあえず直近の5月の試験の申し込みをした。
申し込みをした後は、去年の夏休み前に買ったまま手つかずだった問題集の解答用紙をコピーするのに3週間を費やした。2週間ほど前になって、受験票が届いたのをきっかけに勉強を始めた。
使った問題集は2冊。1冊は1回の模試が10分ほどにまとめられたミニ模試集で、全部で14回分ある。いきなり2時間の模試を受けたら絶対にやる気が消滅すると思ったので、大学の購買部で中身をよく見て選んだものだ。もう1冊は普通のフルサイズの模試で、3回分ある。
ミニ模試の方はかなり自分に合っていて、無理なく勉強に勢いをつけることができ、10分という分量でも、各パートの課題はそこそこ把握できたと思う。
3日前になってフルサイズの模試(旧形式)を1度解いてみたところ、解いている途中でやめようかと思うくらい、PART5の長さとつまらなさに辟易したので、5月からの新形式でPART5の分量が少なくなったのは本当に嬉しかった。
最終的に、ミニ模試10回分とフルサイズの模試2回分を解いたところで試験当日になった。読解の方は高校3年生の頃の感覚にほとんど戻せたと感じたので、(L,R)=(280,350)くらいに落ち着くと予想していた。実際の結果は(L,R)=(395,330)で、トータルだけなら予想よりだいぶ良かった。ただ、今回驚いたのは点数ではなくて、試験を受けているときの精神状態だった。
元々試験や発表にはそれ程緊張しない方だったけれど、姿勢が改善されたせいか、今までとは比べ物にならないくらい心に余裕があるのを感じた。試験中盤あたりから聞こえ出した、近くの受験生の消え入るようなか細い息の漏れる音を聞いた時には、一種の快感さえ覚えた。
試験自体については、2回の模試で先に選択肢に目を通す基本テクニックに慣れたおかげか、点数の悪かったPART3と4に模試の時よりも手ごたえがあった。Readingの方は全体的に少し雑になってしまった気がした。

一昨日の6月26日の試験も一応受けたものの、前回の受験からほとんど何もしなかったので、手ごたえも前回とほとんど変わらなかった。僕の大学では800点以上は満点扱いとなってしまうので、前回の点数でもういいかなと思ってしまったのが大きい。800点以上の点数を取ろうと思うと、結構真面目に取り組まないといけないと思うのだけれど、試験自体がなんだかあほらしく感じられてしまって、とてもモチベーションを保っていられなかった(言い訳だね)。多分一生超えられないと思う。

 

暗闇を見ることと何も見ずにいること

目蓋を閉じて体の力を抜くと、暗い目蓋の裏を見ている状態と、どこも見ていない状態を虚ろに行き来しているうちに、暗闇の中に奥行きを感じるようになる。壁が認められるので、そこに沿って上下に移動していくと、穴が見つかり、さらに奥へ進めるようになる。しばらく進むと宙に浮かび上がり、体の重さが感じられなくなる。

 

楽しそうな人

この間アルバイト先で、どうして恋人を作らないのかと聞かれたので、いなくても毎日楽しいからだと答えたところ、確かにおさかなくんは楽しいと感じる閾値が低いというか、生きてるだけでなんだか楽しそうだと言われた。生きてるだけで楽しそうだなんて、言葉だけ見たら馬鹿にしたような感じがするけれど、もちろん相手はそんな風ではなく、僕も少しも嫌な気分にはならなかったばかりか、嬉しいとさえ思った。常に高刺激な体験を求めるよりも、自分の中の楽しむ力を高めるというのが、僕の中の一つのテーマなので、周りから見てもそれが少しずつできてきているということが分かったのは良かった。最近は家にいるとき以外はできるだけ笑顔でいることを心掛けているので、このような印象を与え易くなっているだろうとは思っていたものの、「楽しいと感じる閾値が低い」というのはかなり的を射ていると感心した。笑顔でいることの心への作用は馬鹿にならないので、これからもとりあえず常に笑っておくことにする。

 

姿勢屋さん

姿勢屋さんの動画です。

www.youtube.com 

 

*1:あくまで僕の感覚だから、実際にどうなのかは知らない

グラシアス つまり 

「きちんとお礼が言える人」と聞いて、悪い印象を持つ人はまずいないと思う。ただ、個人的な感覚としては、「きちんとお礼が言える人」の「きちんと」の程度は、頻度についてのみ*1言えば適切でないように感じる。
そもそも、この言葉を出す人が、会話中にその程度に関してまで言及することはほとんどないし、聞き手が尋ねることもまたないだろうけれど、一般的には、「言えば言うほど良い」というのが共通の感覚だと思う。お礼を言われて嬉しがる人は多いからだ。僕も一応それをわかっているから、アルバイト先などでは些細な事でも一々お礼を言うし、元々血行を良くするために鍛えた表情筋をフルに使って、最近はやたら愛想が良い気持ち悪い人にさえなっている。愛想を振りまいていると周りの人は好意的に接してくれるし、連携も取りやすくなるから、仕事の場面では「きちんとお礼が言える人」に徹するのが正解なのだろうと思う。
しかし、本来お礼は、相手を喜ばせるためにするものではないと思う。じゃあ誰のためにするものなのかと言えば、誰のためでもない。心から感じた恩に関する、純粋な心情の吐露であってほしい。したがって、常に相手に伝えなければならない道理は全くなく、心の中で想うだけで十分なのだ。わざわざ言葉にしてくれなくても、無意識に態度に現れていて、そこから伝わることも多い。それに、言葉という形でするお礼は、僕のような不純な気持ちでお礼を言う人がいる限り、嘘と区別がつかないので、表現の方法としてはむしろ勿体無いとさえ思う。これが「きちんと」の程度が不適だと感じる理由だ。
その他にも、見返りを求めない純粋な厚意からしてくれた事に大して、毎回言葉でお礼をしていると、その相手を、感謝の言葉のためにしている偽善者に仕立て上げてしまう気がすることがある。このような場面で相手がどう思っているか、また周りがどう思っているかは分からないけれど、少なくとも、自分が形式ばった印象を受けるお礼を言われた時には、そんなお礼なら言ってくれなくてもいいと感じる。だから、僕が人のために何かをするときには、お礼を言われないようにできるだけこっそり遂行したいし、本当ならお礼もこっそりしたいと常に思っている。

 

今日のナポリタン

八王子に住んでいる人と話す機会があって、1月のナポリタンイベントの時に見つけた喫茶店を紹介したら、自分が行きたくなったので今日行ってきた。

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ソースの味が完璧すぎる。
麺もデロデロでかっこつけてない感じ。

ここのコーヒーは美味しい苦みがあって、温度が下がるにつれて丁度良い酸味が出てくる。香りも良い。2階店舗。空いてる(平日だからかも)。少し薄暗い。店内に流れるクラシック。ありがとう...ありがとう......。

*1:この「きちんと」には、相手の目を見ながら、だとか、伝える際の言葉遣いなどといった、態度に関する意味と、受けた恩の大小にかかわらずお礼を言う、といった頻度に関する意味の2つが含まれていると思う

雑感

最近考えた事、試してみた事の感想をざっと書いてみる。

 

紅茶

春休みからティーバッグの紅茶を色々買って家で飲んでいる。
試したのは

こんなところ。
今のところはルイボスとカモミールが気に入ってよく飲んでいる。ハーブティーは種類が多いので、調査のし甲斐があるという楽しみもある。フレーバーティーは「トロピカル」とか「~ベリー」みたいな不安になるような名前のものが多いけれど、飲んでみると結構美味しい。むしろ、こういうものの方が紅茶独特の楽しみを堪能できるのかもしれないと思った。甜茶も個性的な味で美味しい。天然で甘い味なのが面白い。花粉症にも効くってとあるダメな人が言ってました。ダージリンは安いからなのか知れないけれど、それ程美味しいと感じなかった。家で飲むものは安くて美味しいものが理想なので、しばらくはハーブティーフレーバーティーが主になると思う。

 

ストレッチ

呼吸を意識し始めたあたりから、ストレッチをするようにしている。腿の筋については、長座をしようとすると腹筋が震えてじっとしていられないレベルだったのが、今ではだいぶ柔らかくなって、前屈の際にお腹を腿にくっつける感覚が掴めるようになってきた。
硬い人は最初から足を伸ばした状態で前屈することはせずに、正しい姿勢で伸ばす感覚を先に身につけた方が良いと思う。これには、体育座りの状態で腿を抱えてお腹をくっつけたまま、無理のない範囲で足を伸ばして前屈に移行するストレッチが効果的だった。本当に硬い人は、体育座りでお腹をくっつけているだけで既にちょっと苦しいと思う。ヨガの「鋤のポーズ」というのも結構自然に腿裏が伸びるのでおすすめ。
股関節の方は未だ良い方法を模索中。

ストレッチの効果か、立っているときや座っているときなど、姿勢を意識するようになってきた。姿勢が悪かったころには、良い姿勢はなんだか疲れそうに見えていたけれど、実際は逆で、ほとんど疲れを感じない上、リラックス効果も感じられる。肩を軽く開いてほんの少し胸を張るように意識すると、自然に背筋が緩やかに湾曲した良い姿勢になることもわかった。電車内での不安感もこれで大体改善されてきた。

 

名言の引用

会話や文章中で、偉人の名言等を引用するのが好きな人がいるけれど、聞いて(読んで)いてあまり気分が良くない。引用する事自体は構わないのだけど、それが普遍的な正しさを含んでいるように前提して話を進められるのが嫌だ。「心に響いたこんな言葉がある。(ゴニョゴニョ......)どうだい、深いだろう」、といった単なる紹介よりも、その言葉について自身で考えて感銘を受けたのなら、その自分なりの思考の過程や、体験について聞きたいと思うのだ。よく知らない人の言葉だけをポンと出されたって何とも思わない。

 

余裕

3月から相変わらずお金が足りない状態が続いている中で、思うことがあった。1~2年生の頃は自分の好きなことが分からず、アルバイトで稼いだお金がひたすら貯まっていく状態だった。少し大きな買い物をしてみたり、旅行をすることもできたのだろうけれど、今ある余裕を保つことが大切であるように思えて、日常での小さな無駄遣いをする程度の贅沢に興じていた。楽しく使いもしないお金を稼ぐのは本当につまらないものだと思う。それでいて、貯金をしていると人に言うと大抵褒められるからよくない。
確かに、物質的な余裕を持っているのは好ましいと思うけれど、余裕がないと行動できないというのは精神的な余裕に欠けていると思う。自身の感覚では、お金があるのに使わずにいた頃よりも、無いのに使っている今の方が遥かに楽しいし、余裕を感じている。
ただ実際のところ、こんな風に思えるのは、前提として不自由なく生活をさせてもらえる環境があるからだと思う。パパ......ママ......。

 

良い風景の条件

良い風景の条件について。これは当然人によって異なるものなので、色々な人の意見を聞いてみると面白そうだとよく思う。僕にとっての良い風景の条件は、「人が居ないこと」である。特別美しかったり、自然の雄大さを感じられたりする必要はなくて、人の世から離れたような気になれた時に、その場所が強く印象に残る。青森の青池を訪れた時の事を思うと、バスが営業期間前で出ておらず、自分の他には誰もいない坂道を雨の中1時間も歩いて辿り着いたからこそ、あの神秘性が感じられたのかもしれないと今では思う。

 

タイトルに相応しく、いつも以上に取り留めの無い記事になった。モーン。

2016-05-13

13日は給料日ではないけれど、日付が変わると同時にお金を工面することができた。といっても、春休みの旅行分の引き落としの関係やらで利用していた、キャッシングの枠が復活したというだけの話だ。県西部の玄倉川沿いにある発電所の近くに、鮮やかな青色をした水が見られる場所があるというので、復活したばかりのキャッシング枠を早速利用して行ってみることにした。

バスの時刻表はばっちり確認したつもりだったが、ばっちり夏季のダイヤを見ていたらしく、目的地の最寄り駅である谷峨に到着してから3時間弱の空き時間が生じてしまった。仕方が無いので、20分程前まで居た同バス路線内のJR松田駅まで引き返し、来るときに気になった駅前にある4軒が隣接した喫茶店で時間をつぶすことにした。内2軒は大好きな2階店舗で、どちらにするか迷うところではあったけれど、片方は休業日だったので選ぶ手間が省けた。

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わくわくする入り口。
思ったよりも雰囲気が明るかった。

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焼チーズナポリタン。
ジュウジュウ音がなってる!

ケチャップよりもトマトソース寄りで、このソースがやたら美味しい。波打った形状のおかげで、皿の側面にこびりついたチーズをはがすのが容易いし、満足度は相当高い。このお店ではナポリタン推しの看板を見て飛びついて入ったせいで、興奮してコーヒーを頼むのを忘れた。

次のお店も店先のメニューにナポリタンがあったお店を選んだ。残りの1軒は店名に「CAFE」の文字が入っていたので避けた。

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珍しくケーキを注文してみた。
器が可愛い。

ケーキが美味しかった。尤も、ケーキについてはそれほど食べ慣れていないので、どこで食べても美味しいと感じるとは思う。これは大変幸せな事なので、これからもケーキは特別な食べ物のままにして置こうと思った。コーヒーは本当に普通だった。香り、酸味、苦みのすべてが控えめで、温度が変わっても味がほとんど変わらなかった。この感想をメモするときに、咄嗟に「d(味)/dT=0」と書いたのに自分で少し可笑しくなった。

バスの発車時刻になったので、ターミナルに向かった。御殿場線がだめだったので、バスはどうかと思って思案していたけれど、バスの方はICカードの利用ができた。小さい頃はあまり好きではなかったバスも、今は悪くないと感じる。電車と同じで、自分は何もしていなくても勝手に移動してくれるし、窓が大きいので、見晴らしの良い道では景色を見やすい。尤も、小さい頃に遠足などで乗っていたバスは、シートの間隔が狭く、窓も小さかったので、単純に比較できないとは思うけれど。
乗車後40分ほどでバス停玄倉に到着した。道路を挟んだ向かい側には丹沢湖が一面に広がっている。上流から流れてきた河川の水が溜まってできるような、平野部にあるものとは違って、山の中にある湖は少し不思議な感じがする。空からの直接の降水と、地中の水分の滲出で生じるのだろうから、浜辺で掘った穴の底に水が溜まっていくのと変わらないのかもしれないと、考えることならできるけれど、それでも海から距離も標高も随分離れた場所に、これだけの水量の水溜りができるのは面白いと思う。

道はGoogle Mapsで確認していたので、自販機で飲み物を買ったらすぐに出発した。しばらく湖畔を歩いていくと、川に差し掛かったあたりで突然水の色が変わった。

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ワァ!
小さい頃に遊んだ酷い臭いのするスライムを思い出した。

建材の業者の車が通る為か、途中の杉林の中以外は結構道が整備されていて、誰でも迷うことは無さそうだった。平日だったので人も少なく、気分よく歌を歌いながらハイキングを楽しんだ。
発電所までは3つのトンネルがあった。そのうちの1つは全長が300m以上あり、ライト無しでは真っ暗で何も見えなかった。事前に調べた時点で、懐中電灯が必要であることは知っていたのだけど、出発前に家の中を軽く探してみても見つからなかったので、今回は持たずに来た。実際のところ、iPhoneのLEDライトだけでも歩くには十分だった。落とし穴があるわけじゃあるまいし、一本道のトンネルの中だとわかっているのだから、自分の近くの壁面さえ照らしていれば平気である。

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境隧道

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新靑崩隧道

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石崩隧道

3つ目のトンネルを抜けたところで玄倉ダムに到着。

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目的のブルーは水門で隔てられた上流側にあった。

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ネットで書かれていたような「神秘的」な感じはしなかったかも。
碧いには碧い(青ではなく)。

バス停に到着したのが13時39分で、ダムに到着したのが14時50分ごろだったので、1時間10分程度かかった。結構サクサク歩いてこれなので、距離はそこそこあったと思う。
神秘的な感じがしないからか、いつまでもじっと見ている気にはならなかったので、写真を撮り終えたらすぐにその場を後にした。

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この日は天気が良くて植物が活き々々して見えた。
服装から、登山の行程に含めて来ていると思われるような人もいて、挨拶をすることで登山気分を分けてもらえた。

来るときにLEDライトで照らしながら通った新靑崩隧道内の道は、曲がり角を挟んだ片方がもう一方に比べて長い、数字の「7」の様な形をしている。そのため、往路では曲がり角を過ぎるまで進行方向から光が入って来ず、後ろからの光も長い道のせいですぐに届かなくなってしまうが、それに対して復路では、最初の道が短いおかげで曲がり角までが後ろからの光で照らされ、カーブを過ぎてからは先方に小さく出口の光が見えるので、ライトが無くても道を見失うことが無い。歩いていて楽しいのは当然往路だ。碧い水をもう一度見たいとは思わなかったけれど、真っ暗なトンネルの中はもう一度歩きたいと思った。

次に玄倉に帰りのバスが来る時刻は16時6分と、その次が16時51分だった。ダムを出たのが15時10分頃の事だったので、普通に歩けば51分のバスに乗ることになるが、帰りが遅くなるのは嫌なので、6分のバスに間に合うよう少し走ることにした。日中に走るのは久しぶりだったので、気持ちがよかった。

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やっぱりここは帰りも気になった。
数時間前に見た時とは混ざり方が違う。

無事6分のバスに乗ることができ、元々の予定と1時間弱しか変わらない時間に帰宅することができた。松田駅前の喫茶店には、夕方に訪れる予定だったのだけれど、トラブルで昼食に食べるようになったのは、かえって良かったと思った。ナポリタン調査もできたので良い1日だった。

カナヘビ

小学校4年生の時、クラスの男子の間でカナヘビ捕りが流行っていた。小学生にとって、カナヘビは飼育が比較的簡単で、昆虫よりもなんとなく恰好良く見えたのだと思う。教室のロッカーの上には、自分の捕まえたカナヘビを自慢したくて仕方がない男子達の虫かごが並んでいた。昼休みになると、彼らは校舎の裏の繁みに行って蜘蛛を捕まえ、それをカナヘビのいる虫かごに放り込む。動く蜘蛛を素早い動きで捕食するカナヘビの様子を、皆で見て楽しむのだ。複数の小学生から、まじまじと見られながらの食事を強いられていたカナヘビの立場を今想像すると、ぞっとする。ごめんよ、カナヘビさん。

ある時、クラスの男子数人のカナヘビを捕まえに行くのに同行させてもらった。自転車をしばらく走らせ、到着したのは学区外の中学校だった。カナヘビ捕獲隊隊長のウエマツくん曰く、ここは知る人ぞ知る絶好のカナヘビ捕獲スポットであるとのことだったので、一行の期待は高まった。心臓をどきどきさせながら、えんもゆかりもない中学校に侵入し、枯葉を掻き分けて捜索をすると、本当にあっさりターゲットが見つかった。隊長を信じて良かった......。信じられるものを得た隊員は、夢中になって枯葉を掻き分けた。
しばらくの間捜索を続け、満足して帰る雰囲気になった頃、隊長が1匹いらないから僕にくれると言った。飼うつもりはなかったから、虫かごは持ってきていなかったけれど、もらえるとなるとなんだか欲しい気もしてきたので、とりあえず、仮のかごにお菓子の箱を(これも隊長に)もらって、それに入れて持ち帰った。箱を受け取る際、隊長から「あとは自分で工夫して」との言葉をもらったが、工夫とはどういうことなのか、新米の僕にはよくわからなかった。
使っていない虫かごが無いか、家に着いてから探してみたけれど、全部カブトムシを飼うのに使われていた。新しく虫かごを買ってくれるように頼むのは憚られたので、とりあえずお菓子の箱のままで飼うことにした。しかし、夜になる頃に、お菓子の箱で飼っていては、カナヘビの様子が少しも見られないことに気が付いた。これではちっとも面白くないし、いつまでも狭い中に閉じ込めておくのはかわいそうだと思ったので、一旦床の上に放してやったところ、一目散に駆け出し、ベッドの下に這入り込んでしまった。懐中電灯で照らしてみたところ、埃の中に姿が見られたので、それで安心して、そのまま寝てしまった。
それから2、3日の間は、時々部屋の中でカナヘビを見かけることがあったけれど、すぐに見なくなった。カナヘビを箱から逃がしてから、カブトムシを飼うのにも何故か飽きてしまって、全て友達にあげてしまった。かごの中の生物を見ているときよりも、ベッドの下に潜んでいるカナヘビを見た時の方が楽しかったせいかもしれない。

今でもベッドの下を見ると、カナヘビを目で探してしまうことがある。

ポケットモンスター フタの上で温めるスープ・フタの上で温めないスープ

メモ帳

2月末に八王子で買ったメモ帳が、想像していなかった効能を発揮しているので報告する。

元々このメモ帳は、「外にいるときにふと思った事」をメモするために買ったもので、もう少し具体的に言うなら、ブログに書き起こす前のワンクッションとしての用途のみを想定したものだった。実際、購入した10日後の旅行で使ってからはしばらく使っていなかったし、厚めのもの(9mm程度ある)を買ってしまっていたから、これじゃあ格好がつかないなあ、なんて思いながら、まっさらなままの残りのページを眺めていたような状態だった。
ところが、ジョギングや表情筋のストレッチを始めた頃からメモを再開し、その日あった事、思った事を毎日書くようになると、変化が出てきた。考えた事や調べた事に関する備忘録としての効果はもちろんだけれど、僕が特に面白いと思ったのは、頭の中だけで考えていた事が、後から紙に書き込んで視覚化することによって、内容が整理され、思考がさらに数段階進んでいくという点である。単に日中の思考を辿るつもりでも、文にすることでその時には気付かなかった考え方や事実のつながりが見えてきて、ペンを動かす手の動きが止まらなくなることがある。諦めて途中でやめた暗算を、紙に書いて最後まで計算し直しているような感覚だ。

 

呼吸

いつからなのかもう覚えていないけれど、近くに人が複数居る状況下で、呼吸がしづらくなることが多くなった。定期的に遭遇して印象に残っている場面は、通学の電車内、美容室、リビング等だ。通学の電車は混雑していることが多く、何故か無意識に息を潜めてしまう。すると身体が強張ってきて、不安感から視線が泳いだり、脈拍が早まったりする。落ち着かせようと深呼吸をしようと思っても、上手く息が吸えない。美容室では、染髪をするときに毎回赤面してしまう。リビングは家族の話し声や生活音、動きや視線が気になって落ち着かない。テレビから聞こえてくる音が気になることもある。
症状について調べてみるとヒットするのが「パニック障害」、「過呼吸」といった単語で、そこまで酷くはないにしろ、確かに近い症例が書かれていたりする。真に受けたら病院に行くことになってしまうので、とりあえず適当に読み流していると、分かったことがいくつかあった。まず、息が吸いづらい状態というのは、吸えていないのではなく、むしろ吸い過ぎている状態なのだということ。そして、過呼吸を防ぐには鼻呼吸を心がけるのが良いということ。不安感などは呼吸が上手くできれば何とかなりそうだということ。赤面については、冷え性について調べていた時に血行不良が原因であることをたまたま知った。表情筋のストレッチを始めたのは、実はこれがきっかけである。

 

思ったこと

冷え性しかり、体の不調は自分の悪い癖を自覚する良い機会なので、あまりネガティブにならずに改善されていく様子を楽しめば良いと思う。性格的なものもあるだろうけど。

問題・解決

冷え性が改善しそうなので報告する。

症状を自覚したのは中学3年生の頃だ。人から手が冷たいと言われ、冬の時期にはしばしば足先が霜焼けを起こしていた。霜焼けは少しつらいけれど、なってしまうものは仕方がないし、毎年の事だったので当たり前に受け止めていた。
原因として挙げられる血行不良については、思い返してみると他にもいくつか心当たりがあった。小学校のプールの時間では、人一倍唇の血色が悪くなりやすかった。中学の部活では、夏の時期以外は動いてもなかなか顔に汗をかけなかった。
代謝が悪いのだと思い、サウナに行ったりランニングをしたりしてみたが、胴体こそ温まって多少汗をかきやすくなったものの、四肢の末端や顔は相変わらず冷えやすいままだった。特徴的なのは胴体は温まるという点で、冷たい四肢の末端とは対照的に、僕の体温は普通、或いは少し高いくらいなのだ。平熱に関する去年の記事(本日より - 昼型の生活)を投稿してから測定した6日分のデータがあるので公表すると、

  • 2015/03/18
    18:30 - 36.7℃
    22:42 - 36.7℃
  • 2015/03/19
    07:12 - 35.9℃
    09:03 - 36.7℃
    18:54 - 36.3℃
    22:34 - 36.6℃
  • 2015/03/20
    11:07 - 36.4℃
    16:16 - 37.0℃
    23:53 - 36.5℃
  • 2015/03/21
    10:23 - 36.3℃
  • 2015/03/22
    05:32 - 35.7℃
    19:06 - 36.7℃
  • 2015/03/23
    10:28 - 36.5℃

となっていて、起きている間は大体36.5℃付近であることがわかる。結局まともに4回測定したのは1日だけだった。
体温が標準的な数値で安定している事は、冬場に人より着込まなくても平気でいられたり、6年以上風邪をひいていない事の要因であると思う。免疫力の高い冷え性って間抜けっぽい。

本題の改善の兆しが見え始めたのは3日前の3月26日の事で、朝から2時間程度散歩をしたところ、1日手先が温かい事に気付いたのだ。これがきっかけとなり、症状について少し真面目に考える気になった。
調べてみたところ、体温が高いにも関わらず冷え性なのは、ストレスや加齢による末梢の血液循環の悪化が原因だから、血行を良くする効果のあるカプサイシンを含む唐辛子をたくさん食べて治せ!といったような事があちこちに書かれていたのだけれど、そんなことで治(ってたま)るか!と思ったし、何となく自分の症状とは異なるような気がした。血行が悪いのは事実だと思うけれど、僕が感じている程度のストレスが原因で冷え性になるのなら、世の中の大半の人が冷え性になって、冷え性の逆の「温もり性」という言葉が遍く世間に知れ渡っているはずだ。
最終的に参考になったのは、意外にも冷え性とは直接的に関係のない、人間の体温を保つ仕組みに関するページだった。人間には寒い場所に行ったとき、手足に送る分の血液を体の中心部の循環に回して体温を保とうとする仕組みが備わっているらしい。つまり、冬場に手先が酷く冷えていたり、足の指が霜焼けになっていたりしたのは、程度に問題こそあれ、体温が高く保たれていたことを考えれば正常な反応だったということになる。
結局のところ、寒い場所に居ても体温が保たれていたことによって、寒くないのだと錯覚をしていたのが問題で、大人しく温かい場所にいれば良かったのだ。家にいるときは真冬でも暖房を使わずに裸足で過ごしていたせいで、先述の反応が常に起きている状態になっていたのだと思う。

靴下を履く他にも、筋肉をつけることが血行促進には効果があるとのことだったので、足先のためにジョギングを、顔のために表情筋のストレッチを始めた。人から言われる事は多かったけれど、余程普段無表情だったのか、ストレッチをした数分後には筋肉痛になっていたのが面白かった。顔の血行が良いと色々と良いことが多いそうなので、これは絶対に続けていきたい。